過去の挨拶文(令和2年

令和2年12月の挨拶文

 もうすぐ2020年が終わります。手指消毒ばかりしていた一年でした。
 色々と制約されて一年前には想像できなかった世界になっていますが,これがいつまで続くのかもサッパリ分からないので,手の届く範囲の楽しみを見つけて過ごしていきたいものです。
 来年も宜しくお願いします。 

『東大寺,大仏殿(奈良県奈良市雑司町)

令和2年11月の挨拶文

 11月になりました。桜井の奥座敷,多武峰の紅葉が見頃を迎える時期です。
 多武峰へのアクセスは良くありませんが,ここの紅葉は苦労して見に行くだけの価値があると思います。
 秋だけでなく,6月の紫陽花が咲き乱れる風景もインパクトがあります。
 年間を通して楽しめる,桜井で一番好きな場所です。 

『長谷寺,二本の杉(奈良県桜井市初瀬)

令和2年10月の挨拶文

 先月,GОTОトラベルを利用して岐阜市内のホテルに泊まりました。
 昼は金華山,夜は長良川の鵜飼いと,王道中の王道の岐阜市内観光だったと思いますが中々楽しかったです。
 岐阜というとこれまでは東京や長野に行く途中で通過するだけの場所という感じでしたが,また行ってみたいと思います。
 今月も宜しくお願いします。 

地獄谷石窟仏(奈良県奈良市春日野町)

令和2年9月の挨拶文

 9月になりました。
 車を走らせていると黄色付いた稲穂でいっぱいの田んぼが目に付きます。あと数週間もすれば稲刈りが始まるでしょう。
 コロナ禍はまだまだ続きそうですが,例年と変わらない風景を目にするとホッとします。
 今月も宜しくお願いします。

『百毫寺からの眺め(奈良県奈良市白毫寺町)』

令和2年8月の挨拶文

 甲子園では選抜交流試合,各地方では独自の代替大会が開催されています。
 一時期は公式戦がまったく開催されないことも危惧されていたわけですから,それを考えれば試合の場を「与えられた」球児達は有り難く感じていると思います。しかし,地方大会と甲子園大会の両方が開催されているわけですから,もうちょっと頑張れば甲子園大会もやれたんじゃないか?と思ってしまいます。
 「学業に支障が出る」とか「地方大会の足並みが揃わない」とか色々とハードルがあったようですが,工夫と我慢で乗り越えられるのではないかと思われるものばかり。
 無観客の甲子園での選抜交流試合を終えた選手達が「やっぱり甲子園はすごかったです!」と言っているのを見ると,なんとも切ない気持ちになります。 

 
『法起寺の講堂(奈良県生駒郡斑鳩町)』  

令和2年7月の挨拶文

 7月になりました。
 新型コロナウイルスの恐怖が世間を覆うようになってからもうすぐ半年が経ちますが,ワクチンが開発されていないので残念ながらこの状況はまだ続きそうです。

 以下,個人的にコロナ前後で変わったこと,変わらないこと。
【変わったこと】
・「経済と人の命のどちらが大事か」という(答えの出ない)問題を意識するようになった・電車に乗る機会が激減した
・宴席に出る機会も激減した
・しかし酒量が増えた(ほぼ宅飲み) 
【変わらないこと】
・仕事のやり方(リモートワークに対応できていない)
・相談を受ける案件の種類(コロナ関連の案件はほとんどない) 

 
『法隆寺の南大門(奈良県生駒郡斑鳩町)』  

令和2年6月の挨拶文

 夏の甲子園開催の中止が決まってしまいました。「学業優先」とか「生命を守るため」と言われると反論するのが難しいですが,それにしても残念です。
 甲子園開催の中止を受けて,全国各地で代替となる地方大会の開催が検討されていますが,奈良県高野連が打ち出した代替案は各チーム1試合のみの実施で,しかも2時間制というもの。
 これはひどい。今の三年生があまりにも可哀そうです。 

 
『橿原神宮の表参道(奈良県橿原市久米町)』 

令和2年5月の挨拶文

 感染拡大を回避するためにどこまで行動を制限すべきかという問題がありますが,これに対する考え方は,ある程度個人差があるように思います。
 個人差が生じる原因としては,ウイルスの実態が未だ明らかになっていないこともあると思いますが,この問題の本質が「社会の利益のためにどこまで自分の自由を制約すべきか」というセンシティブな点であることも非常に大きいと思います。 

 
『境内の松ぼっくり(奈良県斑鳩郡斑鳩町,法起寺)』 

令和2年4月の挨拶文

 先日群馬と栃木に行く機会がありました。
 この辺りは以前にも行ったことはあったのですが,当時は景色を見ることなく遊んで帰ってきただけでした。
 今回行ってみて印象的だったのは,上州を囲む山々の雄大さです。名前は分かりませんが北側,西側,東側にはいかにも標高の高そうな連峰が聳え立っていて,頂には雪が残っていました。景色の雄大さに感動しました。
 一方,愛すべき我が故郷,奈良。
 周囲を山で囲まれていることは同じですが,どれも標高が低くて雄大という表現はあてはまりません。「奈良の山々には神様がいるんだ」とか「古代から天皇陛下が崇めていた山なんだ」といった反論が飛んできそうですが,どうも私にはその種の目に見えないエピソードで補おうとするアピールの仕方がピンときません。 

 
『開山堂(奈良市五条町,唐招提寺)』 

令和2年3月の挨拶文

 この仕事をしていると,人が亡くなる場面に関わらせていただくことがあります。そしてその大半は身寄りのない方です。
 関わり方は様々ですが,火葬の手配や納骨を行うことは珍しくありませんし,火葬炉のスイッチを押したことも一度ではありませんでした。
 こういった仕事は依頼があるから引き受けているのであり,とても意義のある仕事だと思います。しかしそれでも,一人の人間の人生に幕を下ろす仕事を,家族でも友人でもない自分が引き受けることに対する抵抗感は残ります。 

 
『岡寺(奈良県高市郡明日香村)』 

令和2年2月の挨拶文

 当事務所のエアコンが2か月ぶりに復旧しました。これまで寒さにブルブル震えながら来ていただいた相談者の方,依頼者の方,大変ご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫です。

 
『飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村)』 

令和2年1月の挨拶文

 カルロス・ゴーン氏がレバノンに脱出した事件がきっかけで,「人質司法」と呼ばれる日本の刑事司法の身柄拘束に関する運用について俄かに注目が集まっています。
 人質司法のもとでは罪を認めるまで身柄拘束が続き,家族との面会も制限されます。反対に罪を認めれば比較的早期に釈放されたり,家族との面会が認められます。無実を訴えると,そのせいで警察署や拘置所に留置され,弁護人以外と面会できない状態が延々と続くということです。無実を訴える彼らはその過酷な環境によって心身共に疲弊し,いつしか「早く釈放してほしいから罪を認めよう。」と考えるようになります。
 このようにして罪を認めるに至った人たちはこれまで大勢いたと思います。これからも日々生み出されると思います。
 悲劇としかいいようがありませんが,これまでこの問題に世間の注目が集まることは殆どありませんでした。現在はゴーン氏の事件によって一時的に注目が集まっていますが,いずれ忘れ去られるように思います。 

 
『亀石(奈良県高市郡明日香村)』